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便利は常に良いという誤った盲信



便利は常によいという誤った盲信は一旦捨てようと思う。


これを書いている2019年12月は、生活していて”不便"に感じることはほとんどない。テクノロジーが様々な不便を解消して、便利な世の中にしてくれた。今年だけ考えても、キャッシュレス元年であったり、NetflixやAmazon Primeなどのサブスクリプションサービスが生活に浸透したり、都心ではUber Eatsが至るところで走っていたりと、日常生活にテクノロジーの波が押し寄せ、便利を作っていった。

世の中は、便利になり続けることを求めている。私が生まれてからの20数年間でそう感じるわけだから、より長く生きている人はもっとその変化を感じる事だろう。それを受けて、「便利な時代になったけど、昔の方がよかったね」とは言わない。便利な時代の恩恵は十分に受けてしまっているし、一度便利になった世の中が昔のように戻すことはできない。だが、便利になった時代の裏側で、不便であることにも寛容でありたいとも思う。

24時間365日空いていることが当たり前とされるコンビニが、元旦に休みになるというだけで、ニュースになる。運送業界の人手が足りていない中でも、有料会員であったら即日配送が可能になる。電車が3分遅れただけで乗客はイライラし、人をかき分けエスカレーターを駆け上る。「ここまで便利にならなくてもいいのに...」と思うことがこれまで何度あったのだろうか。

もちろん、企業としては稼ぐことが至上命題でもあり、稼ぐためには他社よりも便利なサービスを提供することが必須だ、ということもわかる。そこのサービスに競争の厳しさがなければ、業界全体のサービスの質は低下し続けてしまう。だから、企業は競争をし続けるべきで、他社にはできないほどの便利なサービスを出してくれることは、頭では理解できる。だけど、それらを提供してくれる人たちの、暮らしや余裕を奪ってまで、精神的に追い詰めてまで、便利を求める権利が私たち生活者にはあるのか。

2019年のクリスマスをニュージーランドで過ごしている。宗教的な理由は大きいが、バスは18時以降の運行をやめ、どこのレストランもコンビニも今日はお休みのようだ。ゾンビに襲われた街のように人がいない。私はその雰囲気がすごく好きになった。きっと各々家族や友人とクリスマスを過ごしているのだろう。それについて、店が空いていないから不便だと罵ることってきっとしないと思う。というよりそれを言ってしまったら、大事なものを見失ったような気がしてしまう。

「クリスマスだからしょうがないよね」と言うように、もっと日常でも不便に対して寛容になってもいいんじゃないかと思う。そうなれなければ、きっと世の中は息苦しいままだ。

Text by ジュンヤスイ(@jjyasui