旅行を旅に変えてみる

自分で意思決定を重ねるほど、旅行は旅へと姿を変えていく。


観光地を点と点でせわしなく移動していく弾丸ツアーや、食事からホテル、交通手段まで全てがセットになったパッケージツアーなど、効率的に旅行ができるようになった。時間がない現代人は、仕事からの束の間の解放を味わいたくて、短い間でも旅行に行ったという感覚がほしくて、旅に効率を求めてしまっている。

これだけ便利になった時代である。効率的な旅行を選べば、自分の頭を使わなくても世界の名所に行くことができる。途中で寝ていたとしても、観光客を詰め込んだ大型バスは目的地に到着する。自分の味覚と嗅覚に頼らなくても、有名なレストランを大所帯で貸し切り、苦労せず絶品にありつくことができる。待っているだけで世界の絶景が目の前に運ばれてきて、その地の名産が喉に流れ込んでくる。


すごく楽で居心地の良い旅行ができるようになった反面、そんな旅行でいいのだろうかと、変に自分を責めてしまうことがある。別に私は世界を一周したわけでも、とりあえずインドに行ったわけでも、週末は海外に出かけるわけでもない、ただの普通の若者だ。それでも私は思う。やっぱり旅行ではなく、旅がしたいのだと。

自分で意思決定を重ねるほど、旅行は旅へと姿を変えていく。


自分で行く場所を決めて、そこまでのルートを探してみる。電車とバスの時間と費用を天秤にかけて自分が使う交通手段を決める。旅の前半に街を詰め込んだから、後半からは自然を中心に攻めていく。匂いと人混みとローカルさにつられて、野生の勘を頼りに飯屋に入ってみる。この誰にも邪魔をされずに、自分の心の中で「よし」と勇気を出して一歩踏み出していく感覚が、どうしても病みつきになる。

決してかぶれたいわけではない。ただ単純に、自分で決めるということは、とても楽しいことなのだ。普通に生きていると意思決定に迫られる場面は意外と少ない。与えられたことを黙々とやり、自発的に行わなくても時間は流れていく。とても楽だからこそ、受け身な姿勢になってしまう。そういう日常があるからこそ、自分で決めるということが求められると、反動的に面白く感じるのかもしれない。


同じ景色を見たとしても、自分で何かを決めてそこに辿り着くのと、受け身のままその景色を見るのでは感じ方がまるで違う。極端な話、見たかったと思える景色が実際に見たときに微妙でもいい。自分の意思決定がたとえ誤っていたとしても、自分で決めていたらそれは後から振り返ったら面白いものになるのだ。そういう面白さが旅にはある。

旅は旅行に比べると即効性がない。瞬発的でインスタントな楽しさよりも、5年後のふとした瞬間にじわじわと自分の人生の方針を変えてくれるもの、それが旅だ。「行きたいと思ったところまで行ったおかげで」や、「自分がうまそうと思えた店に行ったおかげで」という自分の意思で決めた「あの時」の感覚は忘れることができないだろう。そして、その感覚のせいで自分の人生が想像以上に狂わされることがあるかもしれない。狂ってもいいじゃないか。振り返った時に、あの旅があったからこんな人生になったんだと笑えていれば。


text by ジュンヤスイ(@jjyasui