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JOURNEY ARMOUR STORY

JOURNEY ARMOURを履き、二人は中国とモンゴルに旅に出た。そのストーリーを聞いて私(@jjyasui)はいてもたってもいられなくなり、自分の気持ちを整理するために、感じたことを記した。


✳︎


死ぬまでにしてみたい旅の話を聞いた。

それは、「死ぬまでに見ておきたい世界の絶景」について聞いた話では、ない。

死ぬまでには、こういうやり方で旅をしたいと、強く思った話だ。

それは、世界一周をしたとか、クルーズ船で世界の観光地を巡ったという話では、ない。

不便で、体力的にもきつい、土にまみれた旅の話だ。


1件のメッセージが通知される。水曜日の午後3時、とうに奪われたパソコンへの集中力を取り戻すには、コーヒーだけでは足りないことはわかっている。けだるさを少しでも紛らわすために、飲みたいわけでもないコーヒーを買いに行く。その時に、彼らからのメッセージはモンゴルから届いた。生まれて初めてモンゴルからメッセージを受信した。そこには、日本で平日の午後働いているという事実を、改めて突きつけられるほどの異世界の写真が届いた。

圧倒的だった。絶景だった。これは死ぬまでに見たい景色かもしれないと思った。 画面一面に広がる砂漠に、合成をしたかのように友達が写真の中にいる。 僕の目の前には、ドリップ仕立ての100円のレギュラーサイズのコーヒーがあり、彼らの目の前には、視界には収まりきらない(であろう)砂漠が広がっている。あまりにも不公平だ。同じ時間が流れていることが許せない。


だけど、自分の気持ちが不思議だった。「その景色を見に行きたい!」とはあまりならなかった。僕の心を揺さぶったのは、絶景ではないものだった。「その景色を見に行きたい!」よりも、「そんな旅がしたい!」という感情がそれを証明していた。その旅のやり方が魅力的だった。


今の仕事や毎日にとても満足していたのに、よくもその満足の上限を引き延ばしてくれたなと思った。例えるなら、コップいっぱいにあふれつつあった満足という水を、もっと大きな容器に移されてしまった感覚だった。今の楽しいと思えていた日常がまだまだ楽しくなるよ、と思わせるくらい、その旅のやり方こそが魅力的だったのだ。


JOURNEY ARMOURのコンセプトムービーを撮るために、彼らはモンゴルと中国へ向かった。彼らとは、このジーンズを考案した祇園と、動画クリエイターのRobert Leeのことだ。2019年5月にクラウドファウンディングを実施し、そこで得た資金で、2019年6月に3週間の撮影の旅に出発したのだ。 旅に行く前にどんな旅になるか聞かされた。本当に撮影だけの旅になるという。 それでも、そこで聞いた、旅のやり方はやはり魅力的だった。 いてもたってもいられなくなり、この週末なら現地で合流できると、僕は参加の希望をにおわせた。


「この週末で上海に合流できたらええな」

と会社員である僕は、アクセスの良い場所を考える。

「いや、たぶんその日程的に上海は厳しい」

と築き上げたはずの友情は全く優先されない。ストイックに撮影ポイントを最優先に行程を組む二人は続けて、

「その週末なら黄山にいると思う」

と飛行機と電車を乗り継いで、約10時間くらいかけて行ける場所での合流を計画した。僕がそこへ行く場合、現地で1時間ほど茶を飲んだら帰路につく必要があった。中国4000年の歴史を集約した茶が飲めたとしても割に合わないと判断した。だから、僕は結果的に、その旅を日本から眺めていたということだ。


ちなみに、彼らがコンセプトムービーを撮りに行った、JOURNEY ARMOURとは何か。それは、人を歩かせるジーンズだ。その鎧のように頑丈なジーンズは、歩くことでしか柔らかく体に馴染まない世界一過酷なハキモノだ。つまり、歩く理由をもたらすものだ。そして、穿くほど色落ちし、旅のキズを記憶として刻むパートナーのようなジーンズ、それがJOURNEY ARMOURだ。

そんな旅人ジーンズだからこそ、考案した本人が旅に出て、撮影をしに行ったということだ。

「見たい!」と思えるものが減った。「実物はやっぱり感動する!」と思うことも減った。 それくらい、写真や動画でクオリティの高い疑似体験ができてしまう。そして、そもそも写真で「すごい!」と思わなければ、その観光地に行くことすらなくなっている。日本にいる時点で、高度なフィルターをかけてしまっているのだ。だから、結果的にインターネットで見たすごいものを確認するために、観光に行くことが増えている。


事前情報が全くない国に行くことは、もはやできない。社会人が1週間の休みを取って、楽しいかどうかもわからない国に行ってみるなんて、テレビ番組の企画じゃあるまいし、リスクがありすぎる。せっかく稼いだお金で、そんな国の経済を回すことなどできればしたくない。だから、ガイドブックに書いてある正解を手にして、失敗を避けるような旅をしたい。絶対に楽しいことを約束してくれる、そんな国に行きたい。そして、模範解答の観光地を、スタンプラリーのごとくせわしなく回る。点と点を移動して、決して線になることのないような旅をしてしまう。SNSに投稿するまでが旅です、と言わんばかりに投稿をする。そんな旅を、僕自身もしていたような気がした。

だからこそ、彼らの旅のやり方が魅力的に映った。彼らの旅のやり方とは何か。


それは、非効率な旅だ

インターネットに書いてあることを、わざわざ自分の足で歩き実感しに行く。本に書いてあるようなことを、わざわざ自分の目で確かめに行く。3分にも満たない動画を撮るために、3週間旅をし続ける。その旅は、不便で、疲労がたまるし、無駄が多い。それでも、彼らはその旅に出た。ではなく、それだから、彼らはその旅に出たのかもしれない。


「毎日がウキウキ気分の観光とは違った」、と祇園は言った。しかし、自分の年輪が重なっていく感覚があったと。自分が肌で感じたことを咀嚼していき、自分の中で内省し、吸収していく。それを吸収することと比例して、鎧のようなデニムは、自分の体に吸い付くように柔らかくなる。旅の記憶は、デニムの色落ちとしてしっかりと残されていく。

そんな3週間で、一番記憶に残っていることを聞いた。それはゴビ砂漠の地平線まで広がる満点の星空でも、延々と続く万里の長城でも、奇形な山が連なる黄山でもなかった。最後についでにいった、韓国の漢拏山での登山だったという。初めから行こうと計画していたわけではない。そして、撮りたい動画が撮れたわけではない。実際に、ここでの風景はコンセプトムービーには使用されていない。登り下りで合計18kmの本格的な登山だったという。山頂は霰が降り、靄がかかって何も見えなかったという。朝から何も食べずにいったため、空腹で倒れそうだったという。


なぜこれが一番記憶に残っているのか。単純にしんどかったから?旅の最後で記憶が新しいから?その理由は、”自分で確かめた”感覚があったからだ思う。事前にインターネットや本で綿密に調べていたら、もしかしたらその山へは行っていなかったかもしれない。どうせしんどいだけで、何も撮影ができないと”正解”がわかっていたら、いかなかったかもしれない。でも、本当に行く前にそれはわかるのか?

僕は、自分の足で稼ぎ、自分の目で見ることで、初めてわかることが、この世の中には多いと思う。わからないからこそ、自分の足で歩いて自分の目で確かめて、納得をするはずだ。たとえそれが”失敗”だとしても、いい。きっと、その”失敗”は楽しめる。18km歩いて、事実何も収穫はなかった。それでも、自分たちでそれを確かめた上での収穫がなかったと、誰かから聞いた上での収穫がなかった、はまるで違う。


自分の納得を重ねていく旅がしたい。たとえ、それが非効率であったとしても、だ。

二人がこの登山が一番記憶に残ったというのは、それが一番JOURNEY ARMOURっぽかった旅だったからだという。

このチャレンジしてみて、ヘトヘトになる感じがJOURNY ARMOURだ。

正解を得られなくても、失敗を楽しめる感じがJOURNY ARMOURだ。

非効率で、不便で、体力的にもきつい旅。

それでも、どんな旅よりも記憶に残る旅にしてくれるのが、JOURNY ARMOURだ。



Text by ジュンヤスイ(@jjyasui