スマホが私の歩行を操るようになった

スマホが私の歩行を操るようになった。


自分が行きたい場所を入力すれば、瞬間的にそこまでの道順が青く表示され、徒歩なり電車なりの最適化されたルートが提案される。歩く方向が間違ったとしても、青い丸印を見れば、自分が別の方向に向かっていることがすぐにわかる。


それは、革命的なテクノロジーで、生活をガラリと変えた超画期的なサービスであることは疑いようもない。にもかかわらず、最近このテクノロジーを使うことを極力減らそうと抗っている。


(Photo on unsplash)


あくまで個人的な感想だが、スマホを使うことで、移動は「点と点を結ぶこと」に簡単に変わってしまうと思う。つまり、目的地Aから目的地Bまで、いかに短い時間と距離でいくかが大事な指標になってしまった。


本来、移動とはもっと感覚的なものだったのかもしれない。人混みを避けるように裏路地を使ったり、匂いに誘われて小道に入ったり、あえて河川敷を歩いたり。


そしてもっとさかのぼると、狩猟民族は獲物がいる方や暖かい方へ感覚的に移動したり、たとえ道が悪くてもわくわくを感じる道を選んでいたかもしれない、あくまで想像だけれど。



現代のテクノロジーが提供する地図では、寄り道のような、感覚的に自分が好きな道を教えてくれることはない。どうしても、AとBを結ぶ最短なルートが瞬時にはじき出されてしまう。だからこそ、自分で思考する暇もなく、スマホに引っ張られるまま、目的地まで行けるようになってしまった。


そうなったことで、「人間の思考力が30%失われた」という研究データは生憎見つけていないが、私はもっと感覚的な移動に回帰してもいいんじゃないかと思う。テクノロジーに頼り切らない移動であり、定規で引けない点と点の移動であり、感性に委ねた移動だ。


なにも、北極の太陽が数ヶ月も沈み続ける極夜で星空を頼りに旅をする極地旅行家のような生活を志向しようという話ではない。液晶画面にへばりつき、スマホに歩行を操られている状態から、街を眺める余裕を持ったり、自分が気持ち良いと思う道に寄り道したりしてみませんかという話だ。



旅先での偶然の出会いが素敵だと思えるのは、それが予期していない出会いだからだと思う。目的地にしていないところでも、ふらっと歩いた先で、自分の感覚が揺さぶられたりすることがある。そういったものとの出会いは事前にセッティングできるものではないとも思う。


私がラオスを旅した際に、目的地に向かう一本道を外れたところで、英会話教室を見つけたことがあった。それは裏路地にあり、まさにふらっと歩かないと見つからない場所にあった。観光客が英語を現地の人にボランティアで教えるシステムで、そこでの交流は私にラオスをもう一度訪れたいと思わせるには、十分な経験を与えてくれた。(ストーリーを読む



こういった予期せぬ出会いは、感覚的に歩いた先で起こることが多い気がする。自分の感性に委ねて歩いて行った先には面白いことがきっとある。スマホをポケットにしまい、歩いた先には、普段は見逃してしまう出会いがきっとある。


青春期を終えた25歳にもなって、運命の出会いはこの世にあると信じたい。マッチングアプリで相性があると判定される人よりも、曲がり角でぶつかる人にこそ運命を感じたい。たまたま歩いたニュージーランドの山にガツっと魅了されて、山岳ガイドの勉強をし始める青年でありたい。


一見効率の悪いようなものでも、自分の感覚が良しというならそれを楽しむ人生。そんな人生を過ごすために、寄り道をして、スマホを見ずに歩いていこうと思う。


Text by ジュンヤスイ(@jjyasui)