私が勢い任せに書いてしまった「その男」の話


夜10時を回りオフィスの人影も少なくなり、私と「その男」はPCに向かい翌日の会議の準備をしていた。1年目が準備した資料とはいえ、毎月行われる重要な会議で使用するため、抜け漏れは許されない。私と「その男」は思い描いていたやりたい仕事をしているわけではなかった。ただ、仕事に向かう「その男」の姿勢は、私のそれとは明らかに違ったことを覚えている。 大企業の新入社員の配属部署は「ガチャ」と言われることがある。大企業であるがゆえに、自分の行きたい部署と、その部署が欲しがる人物がマッチすることはあまりない。「適性を見て配属します」と新入社員を安心させる言葉も虚しく、結局は配属先を適当に決めていると噂されるくらい希望通りの部署に行けることは少ない。そして、私たちが新卒で入社した総合商社という業界は、”背番号制”とも呼ばれ、最初に"偶然"配属された部署で、長いキャリアを過ごすケースが多いと言われていた。 つまり、端的に言うと、「最初のガチャは外したくない」と誰もが思うわけだ。少なくとも学生上がりで、社会のことが全くわからない私にとってはそう思えた。私自身、明確にやりたい仕事があったわけではない。だが、まだ仕事をしてないにも関わらず、自分の興味の持てない分野は多々あった。この部署は体育会系だから合わない、この部署は国内事業だから嫌だ、この部署は飲みがきついらしいから向いていない、など消去法で自分の行きたい部署をぼんやりと描くようにした。 いよいよ配属が発表された4月。私は人事に対し「この部署はやめて」と頭の中で唱えていた。魔法映画のワンシーンと重なる。ここだけは嫌だ、ここだけは嫌だ。そう頭の中でずっと唱えていた。人事が歓喜の声で私の希望部署を叫び、先輩社員に拍手をもって迎えられ、私は社長と目配せをするのだ。しかし、人事は非情にも、私が行きたくなかった部署が読み上げた。「これがあの映画なら、ここからの展開は難しいだろうな」、と思うほどの余裕はなかった。落胆したその時の唯一の救いは、私の横にいた「その男」も私と同じような表情を浮かべていたことだった。 結果的に、配属先では人にとても恵まれて良い経験ができた。ただ、私自身、興味のある仕事ができていたわけではなかった。だからよく夜10時を回ると「もう無理だ〜帰ろう」と、私は「その男」によく弱音を吐いた。「あとちょっとだけ確認させてくれ」そういうとシャツの袖を二度ほどまくり、「その男」はもう一段階ギアをあげて仕事に取り組んでいたことを覚えている。 私は、「その男」も同じモチベーションで仕事をしていると思っていた。しかし、違った。私はその仕事が好きになれなかったが、「その男」には仕事を好きになる能力があった。数ヶ月経つと、配属発表の際に見せていた顔は変わり、すっかり仕事に好かれた顔になっていた。 なぜだろうか。私は不思議でならなかった。どうして自分のやりたい仕事じゃなかったのにそこまで熱くなれるのか。いつものように仕事を終えた夜10時過ぎ、私は「その男」のルーツを辿るべく、二人で飲みに行くことにした。 ビールで乾杯をするや否や、早速私は切り出した。「なんでそんなに仕事を頑張れるの?」すると、「何かに熱くなることは割と得意なんだよな」と彼は言った。「中学、高校と野球部でキャプテンで、大学では日本一を目指してラクロス部でキャプテンもやっていた」

出た、体育会系の主将だ。ざっくりとくくると商社には一定数、体育会系からの入社があると言われている。「その男」もその枠なのだ。きっと昔から運動ができて、周りからも求められていた”陽キャラ”で、楽に人間関係を築いてきたんだろう。そんな人生を歩んできたから、キャプテンシーも備わり、世渡りも上手なんだと短絡的に結論を想像した。 1時間ほど学生時代の話をし、徐々に明日の仕事が徐々に気になる時間になった頃に、「その男」はある話を切り出した。「でも昔、いじめられてたんよな」「え?」と思わず言ってしまった。「幼少期を中国で過ごしていて、SARSの影響で一時的に日本に戻ったときにいじめられたんだ。しかも、日本ではみんな野球をやっていて、自分はできなかった。だから、それで標的になったんだと思う」と話した。 もうその傷は癒えているようにしか見えなかった。だから、「それをどう乗り越えたの?」と聞くと、「自分が生きる世界の数だと思うんよなあ」と懐かしそうな顔でその考えを教えてくれた。「日本でこれだけいじめられていても、SARSが収まれば中国に帰れる。中国みたいに別の世界があれば、日本で毎日いじめられても、ギリギリ踏ん張れたんだよね。どこかでしんどくても、別のどこかで自分が熱中できるものや、希望があれば意外と頑張れちゃうんじゃないかな」そう言うと、柄にもなくかっこいいことを言ってしまった、とおどけていた。 「そりゃあ人が付いてきただろうなあ」と私は帰り道に思った。言葉にすると陳腐だけど、「その男」は人の気持ちを理解することがきっと長けている、というかずば抜けている。それはビジネス書を読んでも身につかないし、ただ主将という役職をやっているだけでも身につかないものだ。それと同時に、そういうバックグラウンドがあるからこそ、何かに熱中できることの素晴らしさを理解しているのだろう。熱中することで、その世界が自分にとって大切なものに変わることを知っているのだ。たとえ、自分のやりたい仕事はなくても、熱中することで自分の人生は豊かになることを、「その男」から学んだ。 商社マンだけでなく、どんな業界の営業でも、熱血教師でも、夢を与えるアスリートにもなれそうな「その男」、ミゾは先日会社を退職をした。そして、Rockwell Japanの一員になった。 熱くなろうぜ。私が部活に打ち込んでいた時に感じたような熱風が、遅れてやっと吹いてきた。


Text by ジュンヤスイ(@jjyasui

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