歩くことで見つかるものが、この世の中にはあまりにも多すぎる

3523km続くアメリカのアパラチアン・トレイルは世界中のハイカーを虜にしている。アメリカのジョージア州からメイン州までの14州を、約6ヶ月かけて歩くということだけを目的にして、人々が集まる。歩く期間は人によって1週間から数ヶ月とまちまちではあるが、毎年300万人が訪れると言われる、アメリカで最も多くの旅人が歩く道だ。


カミーノ・デ・サンティアゴと呼ばれる巡礼路がある。フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから、キリスト教の聖地であるスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの、約760kmの道程のことを指す。この道を歩く理由は様々で、元来の宗教的な理由を始め、自分の内面に向き合いたい人や、観光としてスペインの田舎道を歩きたい人などがいるみたいだ。ただ歩くだけなのに、世界中の人々を惹きつける有名な観光地となっている。

話をもっと卑近にすると、私が卒業した大学には100キロハイクと呼ばれる2日間で約100kmを歩くというイベントがあった。これに参加をする人は頭が狂ってしまった人だけではなく、”普通”の学生も含まれている。ただ100kmを歩くという至極シンプルなイベントは、暇を持て余した多くの大学生を熱狂させていた。事実、定員を大きく超える申し込みがある学内でも大きなイベントだった。


歩くこと。


これほど単純なことが、なぜこんなにも人を惹きつけるのだろうか。スポーツとしての参入障壁が低いから?気持ち良いから?楽しいから?理由は人によって違えど、単純だからこそ追求するべき奥行きの深さがそこにはある。

旅に出た時、歩くことでしか見られない景色があり、感じられないことがある。だから私にとって歩くこと自体が、旅における一つの重大なコンテンツとも言える。ネパールのアンナプルナ山脈のトレッキングコースや、ヨセミテ国立公園を見下ろすグレーシャーポイントのような、歩くこと自体を楽しむハイキングだけを指して言っているわけではない。ハバナの民泊から市街地へ繋がる路地や、ハノイの喧騒のど真ん中の道でもいい。車やバイクでもいける場所で、敢えて歩くことを選択するということを含めて、”歩くこと”は旅には欠かせない魅力だと言える。


歩くことは単なる移動手段ではない。歩くことは探求することだ。歩くことで、その土地の歴史について、じっくりと噛みしめるよう考えることができる。歩くことで、予定していなかった場所へ足を赴かせることができる。歩くことで、自分が普段考えてもいなかったようなことを思いついたりする。歩くことがもたらすものは、人がA地点からB地点に移動できるといったことだけではない。大袈裟かもしれないが、歩くことで自分自身がぶ厚くなると、私は思う。

観光客が押し寄せる前のアンコールワットを歩くことで、密林の中に建てられたクメール建築の歴史を味わえるかもしれない。アテネで一本路地裏に入ることで、ギリシャ神話からは想像もつかないケバブの店の多さを知るかもしれない。壮大なカナダのロッキー山脈を歩くことで、自分のやりたい仕事を発見できるかもしれない。その感覚はインターネットでは見つからない。現地を歩いて感じた匂いや、音、気温、天候、疲労、感動。その全てがセットとなって、強烈な記憶となっていく。それを自分の頭に残していくことにこそ、旅の意義があるのではないか。


だから、歩こう。

歩くことで見つかるものが、この世の中にはあまりにも多すぎる。


Text by ジュンヤスイ(@jjyasui